私を比べないで責めないで

ここから先の、不登校になってからの記憶がとんでいたり、消えていたり、出来事が前後している。


なので思い出せる範囲で書いていきたいと思います。


学校を休み始めてから数日で、クラスの女子からメールが何通か届いた。

『どうしたの?大丈夫?』

『具合悪いの?早く元気になってね!』


本当は、具合いなんて悪くない。

ズル休み。

まぁ、精神的にはおかしかったかもしれないけど。

気遣ってくれるメールが届く度に、やっぱ学校行った方がいいのかなって焦りと、もう気にしてくれなくていいよ、って気持ちでいっぱいになった。


休めば休む程、出て行きにくくなるのはわかってた。

でも、今更学校になんて行ったって、状況が変わってるわけないよね、って諦めもあった。

あんな教室に行きたくなんかない。


休んでる間も、ずっと私はいじめと闘っていた。

母は、とにかくいい加減学校に行きなさいと私に毎日毎日言ってくる。


母は、私がいじめられてるとはハッキリと言った事はない為、また原因不明の体調不良なのかと翻弄されていた。


毎日、

『明日は学校行くの?』

『いつになったら学校行くの!』

『何で行かないの?』

『男の子の何が怖いの!』

『お母さんが先生に言ってあげようか?』

『もう本当に困った娘だよ』

『〇〇ちゃん(中学の友達)はちゃんと学校に行ってるのに何であんただけこんなに学校行けなくなるのよ』

『中学でも学校行かなくて、高校になれば大丈夫だと思ったのにガッカリ。』

『近所の人も変だって思うじゃない』

『高校中退なんて事だけは絶対にダメだぞ!』


と、いじめられて、学校に行きたくても行けない事で悩んでる私にとっては頭が痛くなるぐらい毎日責められている様に感じてた。


担任の先生になんて、絶対に言ってほしくない。

その当時の担任は、五十代ぐらいの女の担任だった。

厳しくて、うちのクラスの生徒からは嫌われていたと思う。


当然、私をいじめていた男子達5人は、その担任から目をつけられていて、よく怒られていたが、反抗する反面、時々うまく甘えたりもしていた。


いじめなんかがクラスであるなんて知ったら、すぐに緊急ホームルームを開きそうな担任だった。


だから、絶対におおごとにしたくない私としては、担任になんて言っちゃいけなかった。

キャパオーバー

私は、昔から我慢強い子だった。

感情を表に出さない子と言った方がぴったりかな。

小さい頃、注射が痛くても泣かずに我慢。

お腹が痛くても冷や汗が出そうになるぐらいまで痛いとも言わずに我慢。


そんな私が自分から早退を申し出るぐらい、その当時はキャパオーバーだったんだろう。


その早退をきっかけに、私は不登校となった。

特別何か大きな嫌な事があったわけじゃなかった。


毎日の言葉のいじめが積もりに積もって、もう頑張れなくなった。

気付いたら私は同い年ぐらいの男の人が怖くなってしまっていた。


どこに行っても知らない人でも、すれ違い様に何か言われるんじゃないかと、緊張して体がガチガチになってしまったり、

若い男の人の笑い声が聞こえてくると、私の事を笑ってるんじゃないかと怖くなったりした。


最初は、不登校になるつもりはないと、母には言って休んでいた。


けど、心の中では、もう学校に行くつもりはなかった。

体調が悪いから、治ったら行くから!

って、逆ギレかのように強い口調で母に言ったと思う。


学校に行きたくなくて、とにかく長く休む為に必死だった。

仮病と早退

時間が経つとあんなにも辛かった出来事が所々?

むしろ、ガッツリ記憶がなくなっているところがあって、どうしても思い出せない。


当時は本当に辛かったんだよ。

でも、忘れるって、人間って不思議だなー。


新学期が始まっても相変わらず、男子達からは

『臭い』だの

『うわっ、無理無理』だの

『あいつの近く?かわいそー』って言葉が私とすれ違うと必ずと言ってもいいほど飛び交っているのがよく聞こえいて。

実際、他にも傷つくワードは言われてたと思うんだけど、『くっせー』とかの言葉が印象深過ぎて、他は覚えてない。


それと共に、私をネタにして嘲笑う彼等の声が耳から離れないぐらいに私の恐怖を煽ってくる。


私のことをネタに笑って、汚い物扱いして、何がそんなに面白いの?


私は、彼等に対して反抗するわけでもなければ、先生や親にチクるわけでもなく。

もちろん、友達、クラスメイト、誰にも言えずに、ただひたすら、傷なんてついてないフリをし通してただけ。

怖くてクラスで目立つ事なんて一切したくなくて、とにかく毎日が静かに、平凡に過ぎて行く事だけを考えて行動してたから、いつも


適当にみんなの意見に合わせて


みんなに合わせて面白そうなフリして笑って


みんなに合わせてムカついたフリして


文化祭や体育祭の何か決める時はみんなにタイミングを合わせて手を上げたり、下げたり…


テストの成績もクラスの中間地点をキープ

何事も中間地点にいれば、

彼等もネタにする事がなくなってくるだろうなんて、安易な考えかもしれないけど、私なりに必死だった。


振り返ってみると、常に神経が張り詰めた状態だったんだなーと思う。

自分の考えなんていつも後回しだった。

私を後回しにしないと、他人の意見を優先しておかないと、私のいじめは酷くなると思った。


酷くならなかったとしても、他人の意見を優先しなかった瞬間は、『は?あいつ何してんの?』って言葉が聞こえてきそうだったし、

何も言われなくても、嘲笑う声が聞こえてきそうで怖い。

大袈裟かもしれないけど、


私は私の気持ちを押し殺すしか、そこで生き延びていく術が考えつかなかった。


その態度が逆に彼等を煽っていたのかは、私にはわからない。


そりゃ毎日ぐったりと疲れてたわけだ。

常に周りを気にして、周りから浮かないように、目立たないように気を付けて頑張ってたんだもん。

帰ってからも、気が休まる事なんて一瞬。

すぐに明日の学校の事を考えてしまってずっと不安が取れなかった。

寝る前なんて、起きたらまた学校だ。なんて考えるから、寝た気がしないし、寝る前は嫌だった。


休みの日だって、サザエさんを見ればもう明日になってしまう。って憂鬱になる。


そんな事が続いてだんだん精神的にも参ってきて、私、仮病を使って早退をしたような気がする。


定かではないけど、午前中で帰って家でお弁当を食べた記憶がある。


確か、家にいた母に早退した理由を聞かれて、ただひたすら『怖い』って言ってた気がする。


母は、ガッカリしていた。

『また⁉︎良くなったと思って安心してたのに〜…』と、私の精神状態の事だろう。

母は泣きそうな顔と声で言ってた。


母にこれ以上言ったら、余計にあれこれ聞かれて私がもたない。

と何となくだけど感じた。