診察で感じた事

病院へ行って私が感じた違和感。

因みに私は医療について詳しい人間ではありません。

詳しくない人間なもので、

大人の事情ってのを抜きに勝手に感じた事です。


専門の先生って、何なんだろう?って思った。

受診してきた患者さんには必ず病名を付けないといけないのかな?



だって、私、簡単な症状しか話してないよ?

学校に行く事考えると震えたり落ち着かなくなったり吐いたりするんです。

さっきは自殺したくなって、もう受診しないとダメかな。って思って。

学校の事考えない時は普通にしてられます。

多分、それくらいの情報しか話してない。


聞かれた事にしか答えない、答えてる内容も、いまいち深いとこまで話せない。

実際にあった事を話す勇気が出なかった。



どのお医者さんもそれぞれ大変さはあるだろうけど、精神科の先生は特に大変なんじゃないかな?って思った。


血液検査、レントゲン、CT、MRIなど、私、医療には詳しくないけど、外科内科とかのお医者さんなら検査で数値や映像で判断できる。

でも精神科って?

患者の話しを聞いて医師が病名を判断。


もし患者が適当なこと言ってたら?

患者が、だいたいの状態しか説明してなくて、医師にとっては病名を判断するのに重要となる情報を省略して話してたら?


患者は、自分が病気だなんて思ってない場合もある。


自分は普通だって思ってる人もいる。


患者全員が自分の症状を正確に判断して、説明出来てるならそうそう精神科には来ないよ。


家族が連れてくるって事もあるけど。


数十分の問診では判断するのは難しいんじゃないのかな。って思った。



患者側の想いが医師側にちゃんと伝わらないと誤診になりかねないよね。って。


話しを聞いて医師は患者に合った薬を出してくれる。

話がしっかり伝わらないと、その人に必要のない薬を飲む事になる。


そして、薬が効かない。薬が合わない。と始まる。


そして薬をどんどん変えたり、量が増えたりしていく気がする。


これは私が、お医者さんに正直に全て話せばまた違った病名なり、判断があったのかもしれない。


が、私は薬を出してもらった事、薬を飲めばもう大丈夫って言う安心感が勝ってしまった。


薬に全てを任せてしまった感があった。


でも、違ったみたい。

私にはこの薬は効かなかった。

病院へ

父がすぐに来てくれたおかげで、午前の診察時間に間に合った。


心療内科、精神科だ。


診察室には一人で入るとでも言ったのか、診察は私一人で受けた記憶しかない。


問診票も、何をどう書いたのか覚えてない。


自分から病院に連れて行ってほしいと頼んだくせに、私は病院でも上辺の話しと、起きている症状も、どこまでちゃんと伝えられたかわからない。


お医者さんにも、いじめられてこうなってしまった。なんて言えなかった。

どう説明したか忘れてしまったけど、その時の診断名は『躁鬱病』だった。

躁鬱病なんて言われても、どんな病気かなんてわからなかった。


今は、双極性障害と言うみたい。

躁病の極とうつ病の極の両方をもつ気分障害という意味らしく、勿論、薬物治療が始まった。


ここで違和感があった。

けど、その時は薬を飲めば、この不安がおさまるんだ。

その頃、眠りも浅かったから、よく寝れるようになるんだって思っていたから、薬を出してもらえた事ですごく安心した。



これで少し楽になるんだ思ってた。

苦しさから逃げたい

苦しい

辛い

そんな気持ちからとにかく早く抜け出したくて。

でも、自分の力ではどうする事も出来なくて。

他人に頼るなんて考えはなくて。

いや、本当は頼りたかったのかもしれない。

だけど他人に頼る勇気が出なくて。

裏切られるんじゃないかと、

今の状況が悪化するんじゃないかと、不安になり。

私が学校に行かなければ、あの男子達に会わなければ私の心は休まる、穏やかになると思ってた。


でも、学校に行かなくても、私の中でいじめは消化できずにずっと悩む事となった。


私の住んでいる地域から出ない限り、私は恐怖から抜けれなくなってしまっていた。


田舎で、土地も人間関係の繋がりも狭い地域。

いつどこで彼らに会うかわからない。

中学校の頃にいじめてきた男子達にも会いたくない。

狭い地域だからこそなのか、学校が違っても友達同士が繋がっている事がよくある。


『〇〇中学校卒の〇〇さん』で、だいたい、すぐ誰かしらと繋がる。


それすら怖くて、私は外に出ることを避けた時期があった。


気分転換に外に出た時には、若い男の人たちの声も怖い。

母からもしつこく責められ、

誰にも話せず、自分自身の中で溜め込みすぎた私はある時、苦しさと、私が生きてる意味もよくわからなくなっていて、

辛い事から逃げたい一心で、自殺願望が芽生えた。


頭がおかしくなっていたんだと思う。

私は不安と恐怖で精神的に落ち着けなくなっていて、家の中を勢いよく走り回った。

じっとなんてしていられなくて、

常に動いてないと発狂しそうだった。


母が驚いて私をなだめようとしたけど、そんな声は私は受け入れられなくて、

だんだん『死にたい』一心になった。

こんなに辛い想いをしてまで生きてる意味が全くわからなかった。


別に私が死んだところで誰も悲しまないし困らない。

毎日こんな恐怖と不安の中で生きていきたくなんてなかった。

別に楽しみなんてない。

楽しみより、今の不安が大きくて何をしていても楽しめない。

もう、早く楽になりたかった。



でも、そんな時でも、頭の片隅では、

首を吊るか、自分を切りつけるか、飛び降りるか、を考える余裕もあって。


一番リスクがなく、一発で死ねる方法はどれかと考えてた。


今思えば、本当は死にたくなんてなかったんだな。って思う。


死ぬ事が怖くない反面、物凄く怖がってる自分がいた。


父や母と離れたくない。

でも楽にはなりたい。

私は、自分がどうしたらいいかわからない事にも辛くて泣き叫んでいた。


『もうやだ!死にたい!』

泣きながら叫ぶと、

母が

『あんたが死んだら私たちどうしたらいいの、親より先に死ぬなんて一番の親不孝だ!!』

と錯乱状態になっていた私に言った。


それまで母の顔を見る余裕すらなかったが、ふと顔を見ると目を赤くして私を見ている母がいた。


私が死んだら、悲しんでくれる人、いるんだ。。。


『でも』辛い、どうしたら…

一人で頭の中で色々闘って拉致があかない状態。


ただ、母に言われて、母の顔を見て、ほんの少し我に返った気がした。


そしてとっさに仕事中だと言うのにも関わらず父の会社に電話をした。


『お父さん。今忙しい?病院連れてって』

自分でもこの行動が訳がわからず。

切羽詰まった、振り絞るような声で父にお願いした記憶がある。


母は車の運転が出来ない為、遠くの病院に行くには父に頼るしかなかった。


父は、普段私が頼ってくる事がない人間なのに頼ってきた事に驚いたのか、一大事だと察したのか、すぐに『わかった』と言って仕事を切り上げて帰ってきてくれて、病院に連れて行ってくれた。



今これを書きながら、この時、私は愛されてたんだなってやっと実感ができた。