何で簡単に言っちゃうのかな

担任と母の両方からしつこいぐらいに問われて、ある時私は担任に漏らしてしまった。


経緯はよく覚えていないんだけど、

担任に、(本人?)みんなには言わないからと言う様な約束をしてくれた事もあって、少し気持ちが緩んだのか、

『〇〇くんと〇〇くんと〇〇くんと…(5人の名前を挙げて)が、私の事を臭いとか言ってる様な気がするんです』と。


『でも、違うかもしれないし、直接面と向かって言われたわけじゃないし…』と本人に伝わる事を私は異常に恐れて、自分の思ってる事を自信を持って言う事が出来なかった。


そのあと、担任が何て言ったかなんて全然覚えてなくて。


心の片隅では、誰かに知ってほしかった事実。


でも、ついに言ってしまったと言う怖い気持ちの方が大きかった。



私は、またここで後悔をする事となった。


担任がその男子達を集めて話しを聞いた様だ。


先生が、本人に言わないって言ったから話したのに。

まさか本人に…


本人になんて言われたら、もうあのクラスには絶対戻れないし戻りたくないよ。

私は彼らにどう思われるんだろう。

余計に怖くなった。


何で私に相談もなく勝手に男子達に直接話しをしたの?


先生の力でどうにかできるとでも思った?

先生が注意すれば解決するって思ったから言ったの?

何で私が知らないところで私が望んでないやり方で解決しようとするの?

先生は何の為に本人に話しをしたの?


自分のクラスに不登校児がいる事が困るの?


私の事を考えて、本人に話したの?


呼ばれて、チエの事、いじめてるのか?なんて聞かれて、

また彼らの間で忘れてたかもしれない私の話題が復活して、

先生に注意された事で変に団結なんかしちゃってその話題で盛り上がって…

考えれば考える程、悪い妄想が広がって怖くなる。


先生と生徒の関係だからって先生は自信があったの?

先生が言い聞かせて、生徒は必ず言う事聞くとは限らないよ?

その場しのぎの返事なんていくらでも出来るよ。

まして、ちょっと不良側の人たちだよ?

先生に注意されたからってビビって言う事聞く様には私からは見えない人たちだよ。


私の事を一番に考えてくれてるなら、本人に言うなんてそんなやり方はしないよね?



担任の私が解決しなければならないと張り切るの、本当にやめて。



しかも、男子達一人一人に話しを聞いて、注意した。と私は確か、この話を母から聞いた。


母にも言ってなかったのに、担任が親切に家に電話をして、報告してくれたおかげで、そこで全て母に知られてしまった。


この時、一気にガッカリしたのを覚えてる。


担任は、男子一人一人に話しを聞いて、

男子達は、確かに言ったと認めたらしい。


やっぱり気のせいなんかじゃなかった。


言われてるとはわかっていたが、いざ本人たちが認めてると聞いてしまうと…


あれは本当だったんだね。と、どこかでまだ気のせいなんじゃないか、と受け止め切れていなかった私がいた事に気づいた。


私の気のせいであってほしいと思ってたんだな、って。


ここで、いじめられていた事を確信してしまった。

時々、もしかしたら気のせいだったのかも、がよぎっていたけど、それも、もうちゃんと私は認めるしかなかった。


良い方に考えようと逃げてたけど、もう逃げ道はなかった。

説得してこないで

私の不登校が続いていた事でどうしたら学校に行ってくれるのかと悩んでいた母は、私の小学校の時の友人の母に連絡をとって話しを聞いてもらっていたらしい。


私は覚えてなかったけど、

最近私の母と私の不登校の頃の話になり、

『〇〇ちゃん(友人)のお母さんに、あんたの部屋に入って話ししてもらったでしょ?怒られたの覚えてるでしょ?』

と言われた。


全く覚えていなかったから、そんな事があったんだ⁉︎と、すごーくビックリした。


何ヶ月も曖昧な理由を付けて学校を休んでいた私を、私の母も、友人のお母さんも、『怠け者病』かの様に思ったに違いない。


ただ毎日ダラダラ、ゴロゴロ好きな時間に起きて、好きな時に食べたり、寝たり、テレビを見たり…

側からみれば、何も考えずに『怠けているだけ』にしか見えなかったんだろう。

私が葛藤してる事なんてわかるわけもなく。


人の心って、見えないものだからこそ、他人にとても誤解を生みやすいと思った。


しかし私は何でその人から叱られた出来事を覚えていなかったのか。


母にその話しをされて、薄っすら、そういえば…?と状況を思い出せる様な、出せない様な…


多分、その友人のお母さんの言葉が私に響かなかっただけなんだろうな。


叱られたとは言うが、私には、『必死の説得』に感じたんだろうな。


なんて言うか、一方的な意見の押し付けにも感じたんだろうな。


その人は一度、母に聞いた状況だけで私を判断して叱ったんだと思う。

私の事をどうにかして学校に行かせようとしてばかりの言葉や、世間体、一般論、同じ歳の娘を持つ母の気持ちを代弁したのかもしれない。


でも私はきっと、この人も『わかってくれない大人』として判断したんだろう。


叱られても、右から左へ受け流していた状態だったかもしれない。


私の心の中は

『違う。そうじゃない。言いたくない。そんな簡単な事じゃない。』


『家にいれなくなる。学校に行かなきゃいけなくなる。休めなくなる。この人嫌だ。』



大人は、結局、似たような話しをして子どもを説得させようとするんだ。


似たような話しとは、世間体や一般論。


いじめを経験した事がない人には分からないだろう。


なんで普通に学校に行けないの?となるだろう。


言葉でいじめられたぐらいで。と、いじめの内容によっては、そう思う人もいるかもしれない。


体に暴力を振るわれたわけじゃない。アザも傷も残ってるわけじゃない。


でも、言葉のいじめって、だから怖いんだよ。

人には見えない心の部分だから、軽く扱われてしまうけど。


しっかり心にアザも傷も付いていて、しっかりそれが残ってる。忘れられないぐらいに。

消えないぐらいに。


言葉の暴力って、証拠も残らない。

なかなか気付いてもらえない。

私は、凄く怖いものだと思う。


そこに気付かないで、世間体や一般論で説得させてくる人たち。


それでも納得しない、言う事を聞かない子には、無理矢理言う事を聞かせる為に圧力をかけて、言う事を聞かせて安心している大人たち。


本人の本音を聞いて、しっかり受け止めてあげた事はあるのかな。

まるで犯人探し

担任の先生が、電話で犯人探しをするかの様に、私に事情聴取をしてくる様になった。


私は、担任なんかに絶対言うもんか、と

『いや、大丈夫です』を繰り返した。


一度話す為に、誰もいない時に学校に来ないか?とも言われた記憶があるが、私は行かなかった。


もしかしたら、担任が一度、家に来たかもしれない。

母も母で、何も話さない娘と、しつこい担任に挟まれて大変だったかもしれない。

母は、解決出来る事なら担任に是非お願いしたいと思っていただろう。

今となれば、大人の事情もよくわかるが、その当時の私にはそんな事、知ったこっちゃない。

それより、その男子達のところに話がいってしまうんじゃないかとビクビクしていた。